不思議な出会い

蒸し暑くて、未知な道に踏み出したかった2015年夏のことだった。

いよいよ大学卒業を迎えて、新たなチャレンジをなんでも楽しみにしていたあの日々、私はまだ22歳だった。二つのバイトを掛け持ちしてて、半分は生活費で半分は貯金のため。で、その貯金は疑いもなく、旅行に使うつもりだった。ああいう年齢で、それなりに無駄遣いの特権はあると言っても過言ではないだろうと思うけど。

ずいぶん昔の話になっちゃうけど、初めて日本に行ったのが5歳の時だった。物心がついたばっかなので、記憶は曖昧になったけれど、家族全員も日本のことが好きだから、なんとなく日本はいいところだなーっていうイメージを持つようになった。月日が経つのが早く、22歳、大学を卒業した。ようやく一人で海外旅行に行くチャンスを手に入れて、日本に飛び出した。日本がめっちゃ好きっていったら嘘になるが、あの時は旅行の便利さを含めて考えたら、本気で日本語を勉強しようと決意した。

京都で2ヶ月間の旅をして、いろんな人と出会って、いろんな国の人と友達になった。言語が通じなかったり、カルチャーショックで混乱したり、落ち込んでいたりしながらも、自分は確かに生きてると初めて実感できた。そういう経験が何回も重なって、私にとって京都はもうかけがえのない存在になったとわかった。京都を離れるまで、さよならを言うのがそんなにむずかしいことは知らなかった。観光ビザが切れる寸前、台湾に帰って就活に気合を入れようとした。京都の日々はもう思い出にすぎないことだなーって、寂しいけれども、そう考えるしかなかったんだ。

いや、それより寂しいのは、ロボットみたいに働いて生きてゆくことだ。サラリーマンとして、ロクでもない1年間を経て、このまま仕事しようか、もう一度京都に住もうか、両者の葛藤がしばらくの間続いていた。やっぱ、後者の勝ちだ。悶々とした閉塞感を打開するため、しっかり計画を立て、新しい人生を始めようと志した。

それで、片道のチケットを買って、ひたすら日本語を勉強し、日本留学することにした。3年間滞在していて、一人暮らしの大変さとか、大学院の辛さとか、泣きたくても、寂しいと感じても一人で背負ってゆくしかなかった。母語でない言語で生きて、喘ぎ声を漏らしても自分を励ましながら、ビシビシと素直に自分の弱みに向き合ってきた。そして、大学院卒業。後悔もなく揺るぎもなく台湾に帰国するという道を選んだ。

まったく腐れ縁のように、帰国しても日本語関係の仕事をし続けるチャンスが目の前にきた。今まで日本語と出会って6年間を経ても日本語の勉強は日課だと思ってやっている。日本語に対して自分は勇ましいと周りの人によく言われているけど、正直、どんなに簡単な仕事でも朝飯前だと思ったことは一度もなかった。自分は思いのほか日本語を愛しているんだなって、日本語と出会えて本当によかったと常に感謝を含めて感じている。

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京都造形藝術大學碩士|台日相關/文化觀察/行銷活動企劃。開了一間店但戶頭剩三千。

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Yachu Yang

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