「私のせいだから…」過ちや失敗を認めるのがさすがに偉い

最近はいろいろ考えすぎてしまった。仕事がうまくいけずに、なんか生活を楽しめることもできなくなってきた。

どっちかというと、自分は仕事できるほうだと信じてるけど、なぜか最近は全然やる気が出てなくて、つらいしか思えない。まあ、仕事への好き嫌いにも関わってるけど、それを言い訳にしたくないのだ。

だから、この文章は自分の失敗に向き合うために書くってことは先頭に言っとく。

失敗から逃げたいのは当たり前

「逃げ癖」という言葉がある。ちょっと説明すると、逃げ癖がある人はいつも「逃げる」という選択肢を持ちながら生きている。壁にぶつかってしまうとき、まず最初に思い浮かぶ選択肢が「逃げる」ということなのだ。

失敗したくないっていうのは、誰でもそうだろう?プライドといい、メンツの守りといい、失敗という二文字を気にしない人はいないと思う。けれど、壁に当たるとき、逃げようとする、あるいは堂々と向き合う、あなたはどっちなんだろう?

何れにせよ、「私が悪かった」、「本当にばかでした」をまっすぐ認めるのはそんな簡単じゃないことに違いない。当たり前だ。でも、失敗から学べることが多いというのも疑いの余地がない。

弱い自分を受け入れるのは恥ではない

タイトルの通り、過ちを認めるのは偉いことだと最近そういうふうに思い始めた。私は負けず嫌い人間だし、自分は決して愚かな人ではないと信じてるし、その代わり、万が一ミスを犯したら、より一層自己肯定感が低くなってしまうのだ。

強がらなくても大丈夫よ、って言ってくれる人がいたら、それが最高な幸せだと思ったことがなかった?

私はあるよ。よくある。「とにかく弱みを見せたくない」という強がりに縛られてるから、他人の前ではスーパーマンみたいに演じるしかなくなる。でも、はっきりにいうと、逃げ場を捨てても意味はどこにあんの?

少し考えれば、よくできないときはちゃんと「ごめんなさい」と言える人はよっぽと立派だ。人間っていうのは、いつでもパーフェクトに働くのがとうてい不可能だから、ミスで自分自身は必ず成長できるのを銘記したほうが役立つ。

仕事の調子がいいときもあれば、不調なときがないことはないのだろう。ちゃんと謝って、間に合ううちに償えれば、自分はまだまだ大丈夫だと信じてください。

京都造形藝術大學碩士|台日相關/文化觀察/行銷活動企劃。開了一間店但戶頭剩三千。